ストレスに立ち向かう〜運動とマインドセットがもたらすもの〜

我々が普段考えたり、感じたりする事や、見ること、聞くことなど、
全てを司っているのは脳である。
 
今回は、日々私達が直面するストレスや、様々な問題に対して脳がどのような反応をするかと、「運動」をすることによってどのような影響がストレスに与えられるのか?
また物事に対する考え方、信念である「マインドセット」を変容することでどのようにストレスに対応することができるかについて、最近読んだ書籍に基づいて考えてみたいと思う。
 
ストレスの定義とは?
   
「ストレス」という言葉は様々な文脈で使われている。仕事上のストレス、人間関係のストレス、職場のストレス、家庭のストレス…生物学的に言うと、ストレスとは「体の均衡に影響を与えるもの」であり、脳の中にあるニューロンの活動を引き起こすものは何でもストレスになる。
 
    ストレスは脳細胞に影響を与え、ニューロンを傷つけるが、通常は、修復メカニズムが働き、ニューロンはむしろ強くなり、今後の問題に対処できるようになるのだ。
つまり、進化の過程で身につけてきた特性・能力であると言うことができるだろう。
 
    ストレスが生じた時に起きるメカニズムは「警報システム」と位置づける事ができる。
代表的なものが「闘争・逃走反応」である。これは、脳と体を動かそうと、体内の資源を総動員する複雑な生理反応だ。そこでは脳の部位である扁桃体が重要な役割を担う。
    扁桃体は体の自然な均衡を崩しかねない危険信号を感知すると、入ってくる情報の強さを測り、連鎖反応を作動させる。
恐怖に限らず、強い感情を引き起こすものは扁桃体に感知される。例えば陶酔感や、性的興奮などだ。これは幸運に恵まれるのも、デート相手が素敵なことも人間の生存に関係があるからだ。
    脳の多様な部位と繋がっており、幅広い情報を受け取る。前頭前野という高次の情報処理中枢から入ってくる情報もあれば、間接的に入ってくる
情報もある。意識下の知覚や記憶でさえストレス反応を引き起こす事があるのはそのためである。
 
    ストレス反応においてはHPA軸というメカニズムが主要な働きをしている。
これは視床下部(Hypothalamus)から下垂体(Pituitary)を経由して副腎(Adrenal gland)というリレーである。
扁桃体から視床下部までノルアドレナリンと副腎皮質刺激ホルモン放出因子によって運ばれた信号は、視床下部メッセンジャー神経伝達物質)に渡され、その先メッセンジャーは血液中をゆっくり流れる。それらは下垂体を刺激し、副腎の別の部分を活性化させ、コルチゾールが分泌される。
我々の体では口の乾きや緊張など様々な身体的な反応が起こる。そして動物と人間の違うところは、目の前に危機が迫っていなくても、ストレスを引き起こした状態を記憶から想起するだけでも”実際に”ストレス反応が起きてしまう点である。
 
    常にストレスを感じるような状態(つまりは慢性ストレスの状態)になると、HPA軸は常に警戒を続けて稼働する。コルチゾールの活動により余分な
燃料が脂肪の形でお腹周りに蓄えられ、HPA軸の警戒活動のために思考する部位のためのエネルギーが奪われる。また記憶をつかさどる部位である海馬の
ニューロングルタミン酸機構をフル回転させ、重要でない刺激を遮断するため、思考力の低下や、新しい記憶形成が阻害されてしまう。
 
    上記で見たように、「過度な慢性ストレス」の状態では警報システムがなり続け、体を酷使して緊急体制を維持し続けてしまう。
 
では、運動はどのようにストレス反応に対して作用するのだろうか。
 
    運動によって適度なストレスがかかると、遺伝子が活性化してタンパク質が生成され、ニューロンを損傷から守るとともに、その構造を強化する。また、酸化ストレス、代謝性ストレスや、興奮毒性ストレスなどに対応する保護分子を生成する。
 
    また、運動により全身を流れる血液とグルコースの量を増やす。またニューロンの回復も促される。インスリン受容体が増加することにより、血糖がより効率的に利用されるようになり、細胞が強くなる。
 
    脳の騒音を鎮めて、体のストレス反応を直接抑える。闘争・逃走反応を起こす閾値があがり、ニューロンの回復プロセスが促進される。細胞内のエネルギー生産はより効率的になる。フリーラジカルも生じるが、保護分子や酵素、清掃サービスが機能する。これらはがんの予防にも有用とされている。
 
    有酸素運動によって、BDNF(脳由来神経栄養因子)などの栄養因子が増加する。
これらの因子は協力しあって脳の活動を活発化し、細胞の修復プロセスを開始するだけでなく、ストレスホルモンであるコルチゾールが増えすぎないように監視・調整し、必要に応じてセロトニンノルアドレナリンドーパミンなどの神経伝達物質を増やす。
 
    また、力学的な観点から言うと、運動は筋紡錘(筋肉の中にある張力センター)の静止張力を緩めることで、脳にフィードバックされるストレスを撃退する。
体が緊張していなければ、脳は自分がリラックスしていいと判断する。また、長期的に規則正しく運動をすれば、心血管系の効率が良くなり、血圧が下がる。
 
 心臓専門医は最近、心臓の筋肉で作られる心房性ナトリウム利尿ペプチド(ANP)というホルモンがHPA軸にブレーキをかけ、脳の騒音を鎮め、ストレスを直接抑える
という現象を発見した。
 
    運動は多少なりともストレスを引き起こすが、自分で予定をして実行するものなので、ストレスは予測できるし、コントロールできる。その点が心理学的に有用なポイントである。
 
    以上に渡り、ストレス反応(特に慢性的なストレス反応)が脳に与える影響と、運動によってどのような好転的な状況がもたらされるかについて概観してきた。
 
    一方で、ストレスに対する考え方、どうストレスを捉えるかという「マインドセット」次第で同じ状況下や同程度のストレスを感じたとしても、生理学的な反応が
実際に異なることがあるという。スタンフォード大学の心理学者である、ケリー・マグゴニガル著『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』の内容をまとめ、マインドセットのあり方をどのようにすればよいのかを見ていきたい。
 
    ストレスとマインドセット
 
    ストレスという言葉にどのような印象を持っているだろうか。大衆の目の前でスピーチをする、人間関係で苦手な相手と話をする、傷つく事を誰かから言われる、病気になる、不安になるなど、嫌な事と向き合う時に「ストレスだ…」などとつぶやいているだろう。
    筆者はストレスの意義を、「自分にとって大切なものが脅かされた時にしょうじるもの」と定義している。そして、ストレスと、実際に私達の体や精神にストレスが及ぼす影響はストレスに対する考え方次第で変化すると研究の結果から導きだしている。
    
    心理学者アリアクラムが行った実験によると、ホテルの客室係に対して「あなたの仕事はカロリーをたくさん消費している」と伝えられたグループのほうが何も伝えられなかった対照群と比べ、数週間後の体重の減少幅が大きかった。
    また、模擬面接の実験において、「ストレスは良い効果がある」というビデオを見せられたグループは、「ストレスは心身を消耗させる」というビデオを見せられたグループと比べてDHEA(脳の成長を助ける男性ホルモン)の分泌量が多かった。
 
    また、ボルチモア老化縦断研究によれば、18歳から49歳までを対象に38年間に渡り実施した追跡調査によると、年齢を重ねることをポジティブに捉えていた人たちは心臓発作のリスクが80%低かった。ポジティブに捉えていることにより
選択や行動が変わってくるために、健康状態に影響があると思われる。
 
    また、金融機関を対象とした実験がある。不況に伴うストレスや大量な仕事を抱えているスタッフを対象に、「ストレスは本質的に悪いものだ」という内容を受講したグループと、「ストレスはポジティブなものだ」と伝えられたグループで経過を観察した。
    その結果、「ストレスはポジティブなものだ」と伝えられたグループのでは、不安症やうつ病の症状が少なくなり、腰痛や不眠症など
の健康問題も減少した。そして集中力や仕事への取り組み、周囲との協力や、仕事の生産性の向上が見られた。
 
    ストレス反応を味方にするには?
 
    ストレス反応が回復に繋がるという実験結果がある。
 
PTSDを発症した50歳の男性の症状が、ストレスホルモンの投与によって改善した(1日10mgのコルチゾールを3ヶ月間に渡って投与した。)
・リスクの高い心臓手術を受ける患者たちにストレスホルモンを投与すると外傷性ストレス症状が最小限に抑えられた
・妊娠中に大きなストレスを受けた女性が産んだ赤ちゃん達は、脳の発達が優れており、心拍変動が高いことがわかった。
・幼児期に母親と引き離された子猿たちはそうでない子猿たちとくらべて脳の前頭前皮質が大きく発達している事がわかった。
幼児期のストレスは、前頭前皮質の中でも特に恐怖反応を抑え、衝動制御を高め、やる気を高める機能をつかさどる領域を増大させて
いた。物怖じしない性格になり、積極性や好奇心が他の猿よりも増えていた。
スタンフォード大学の心理学者、カレン・パーカー)
 
乳幼児期の親と両親の関係性については、他の研究者による実験で異なる見解が見られた。
「逆境は、とくに幼い時期ほど、体内の複雑なストレス反応のネットワーク〜脳と免疫システムと内分泌システム(コルチゾールなどのストレスホルモンをつくり、放出する内分泌腺)を結ぶネットワーク〜の発達に強い影響を及ぼす。とくにこの時期にネットワークが環境からの信号に非常に敏感に反応するのは、これからの長い人生において何に備えるべきか、体に知らせる信号を常に探しているからだ。この先の人生が困難であることが信号によって示されれば、ネットワークはトラブルに備えるための反応をする。血圧をあげ、アドレナリンの分泌を増やして警戒を高める。」
「短期的に見れば、とくに危険な環境では利点もある。『闘争・逃走反応』とも呼ばれる驚異検知システムが作動し、つねにトラブルに備えている状況なので、すぐに反応できる。このように、危険な環境への適応には確固たる理由があるのだ。しかしこの適応が長期に渡って続くと、数々の生理的な問題の引き金ともなる。免疫系がうまく働かなくなり、体重増加の一因となる代謝の変化が起こって、のちに喘息から心臓病まで様々な病気を引き起こす。さらに厄介なことに、ストレスは脳の発達にも影響を及ぼす可能性がある。とりわけ幼い時期に経験した高レベルのストレスは、前頭前皮質、つまり知的機能をつかさどる最も繊細で複雑な脳の部位の発達を阻害し、感情面や認知面での制御機能が育つのを妨げる。
「感情面で見ると、幼い時期に慢性的なストレスを受けた子供は〜今では大勢の研究者がこれを有害ストレスと呼ぶが〜失望や怒りへの反応を抑えることに困難を覚えるようになる。小さな挫折が圧倒的な敗北のように感じられ、ほんの少し軽く扱われたように感じただけでも深刻な対立関係に陥る。学校生活では、常に驚異を警戒しつづける極度に敏感なストレス反応システムは、自滅的な行動パターンを引き起こす。
「認知面で見ると、不安定な環境で育ち、そうした環境が生む慢性的な強いストレスにさらされた場合、前頭前皮質が制御する、実行機能と呼ばれる一連の能力の発達が阻害される。実行機能は、脳の働きを監督する航空管制官のチームに喩えられることのある高次の知的能力〜作業記憶、自己調整、認識の柔軟性などを含むもの〜で、これが発達のための神経系の基盤となり、粘り強さやレジリエンスといった非認知能力の支えとなる。」ポール・タフ『HELPING CHILDREN~私たちは子どもに何ができるのか』p.29-30
 
    
    ストレスによって人間が引き起こすストレスがどのように生理学的な影響を与えているのかについても記載されている。
 
    闘争逃走反応…交感神経系が活性化した時に起こる。肝臓はエネルギー源となる脂肪を血液中に放出し、呼吸が深くなり、たくさんの
酸素を心臓へ届ける。心拍数が上昇する。アドレナリンやコルチゾールなどのストレスホルモンが分泌され、これらは筋肉と脳がエネルギーを効率よく取り込み利用するのに役立つ。
    また、脳の活性化にも役立つ。アドレナリンの作用で五感が研ぎ澄まされる。瞳孔が大きく開き、光を取り込む。聴覚が鋭くなり、
脳は情報を急速に処理する。エンドルフィン、アドレナリン、テストステロン、ドーパミンなどの何種類もの脳内化学物質が分泌され、やる気が出る。
 
    チャレンジ反応…闘争逃走反応とは異なる点がある。DHEAの割合が高くなり、ストレス反応の成長指数が高くなる。フローの状態
と呼ばれている。
 
    思いやり・絆反応…オキシトシンと呼ばれるホルモンが分泌される。社会的なつながりを強化し、勇気をもたらす。心臓細胞の再生を
促し、微小損傷の回復に役立つ。
 
    ストレスから回復する際にも、これらのストレスホルモンは影響している。
コルチゾールオキシトシンは炎症を抑えて自立神経系のバランスを整える。
DEHAと神経成長因子は神経の可塑性を高め、脳がストレスから学ぶのを助ける。回復プロセスの間は神経が高ぶり、様々な感情を一度に経験する。脳はそうやって経験した事を理解しようと
し、今後ストレスを感じたときの対処法を経験から学ぼうとしているのだ。これを心理学用語でストレス免疫と呼ぶ。
 
    ストレス反応が役に立っている例も記載されている。
・テスト中に心拍があがり、アドレナリンが急増した生徒のほうが成績が良かった(無作為抽出)
アメリカの特殊部隊、レンジャー部隊では尋問中にコルチゾールの分泌量が多かった兵士のほうが敵に有用な情報を漏らす確率が低い
・連邦警察官の場合、人質交渉訓練中に心拍数増加が最も大きい警察官のほうが誤射が少ない
・「ストレスのは体に良い、役立つものだ」とマインドセット介入を受けた学生のほうが成績が向上した。
 
このように、ストレスはいままで私達が抱いていたような否定的なイメージだけではなく、逆境から自分自身を回復させたり、行動をさせたり、
集中をさせたりする効用がある事がわかった。そして同様のストレスを受けても、選択する反応が違う場合に、生理学的な変化も起こるという。
 
例えば「脅威反応」と「チャレンジ反応」の違いがわかり易い例である。
体が脅威反応を起こすと、体中の血管が収縮し、また炎症を起こす。免疫細胞を活性化させ、回復のプロセスを早めるが、慢性化すると病気・老化を引き起こす。
脳においては脅威を察知する脳の領域と生き残るための対処行動をつかさどる領域との連携を強化するために、神経回路の繋ぎ変えが起こる。
 
チャレンジ反応の場合は血管は収縮せず開いたままであり、血流量は増大する。
老化は緩やかで、脳・体の健康を保っている人が多いことや、脳の萎縮が少ない人が多いこととなどが研究により明らかになっている。
 
 
 
以上に「ストレス」に関わる観点から、運動が及ぼす影響とストレスに対するマインドセットを変容することについてみてきた。
運動とマインドセットも普段の「習慣づけ」によって自分の中に根付くものである。
今後の人生においては、脳の働きや、ストレスを力にするために、下記の習慣を身に着けていくことにしよう。
 
①定期的(週に4日〜5日程度)は有酸素運動を行い、脳のニューロンの回復プロセスを促進し、ストレスに対応する神経伝達物質や学習に効果のある神経伝達物質の活発化を促す。
結果として、脳の健康を保ち、体の健康も保つ。運動と学習を組み合わせることで認知能力の向上も期待できる。
 
②日々の仕事や生活における刺激に対してのマインドセットを意識する。
具体的には、不安を感じた時には、感情を受容して居場所を作った上で、興奮しているしるしだ、と思うことにより、
「チャレンジ反応」に変容する。
ストレス反応の効果に着目する。「困難にうまく対処するためのストレスなのか?」「人とのつながりを強めるためのストレスなのか?」「学び成長するためのストレスなのか?」
 
    今後も脳の可能性や運動との関連事項などについては関連書籍などを読んで理解を深めていこうと思う。
また、逆境のストレスがこどもに与える影響については、著者によって結論が異なる点があった。こちらも今後の研究課題として
注目していこうと思う。
 
参考文献:
ジョンJ.レイティ  wih  エリック・ヘイガーマン  、脳をきたえるには運動しかない、NHK出版、2009
ケリー・マクゴ二ガル、スタンフォードのストレスを力に変える教科書、だいわ書房、  2019
ポール・タフ、HELPING  CHILDREN  私たちは子どもに何ができるのか、英治出版、2017